物事から立ち去るのは僕たち

人は常に忘れる生き物である。

昨日の食事はおろか、大きなイベントの内容すら、そして、そこで何を思い、考え、表現したかさえ、消え失せている。

 

これらを完璧に覚えている人はいるだろうか。

 

それを救い出してくれるのは、その時の自分がカプセル化したものだ。例えば、写真、文章、あるいはごみでもいいのかもしれない。

思い出を引き出してくれるトリガーがない限り、常に僕たちは物事から過ぎ去り、次の波に乗りに行ってしまう。

脳はどうやら、多くのことを記憶しているらしい。ただ引き出すことが非常に下手なようである。それは進化の理屈によるものだとするとわかりやすい。

つまり、いやなことは忘れたいし、いいこともいつまでもすがってられない。

現実のほうが思い出よりも大事だったのだ。

そんな中で、厳しい現実は今もあるものの、森の中で寝なければいけないことはなくなった。命の危険の可能性は大きく減った。

 

そして、インターネットの時代がやってくる。

インターネットは個人が文章や写真、動画などを作ることを許した。

僕たちは人類史上で最も自分の思い出を持てる時代に生きている。そして、それは僕たちが人生を過ぎ去っても残るものになった。インターネットが生きている限り。

僕たちは人類の中で最も思い出の中で生きることができる。

現実が苦しければ、過去の写真をSNSにあげて、その時の気持ちを体験した人たちとシェアすることができる。

 

この時代の人生の記録は、その時の一瞬の記録をほとんど永遠に、少なくとも人類がインターネットをあきらめるまで、そして、インターネットをあきらめるときは、人類の歴史が終わるときでもあると思うけれど、そこまでは残り続けることになる。

 

僕らの今の思い出は、自分の脳から過ぎ去る記憶を、次の世代や遠い未来の世代へ、生きていた痕跡を残すことができるようになった。