いまさらながら有力共和党候補3人の経歴についてかるーく調べてみた

 

自分の中で整理があまりついていなかったので、この機会にウィキペディアで調べてみようと思いました。

 

 

 

ドナルド・トランプ(1946年生まれ)

 

ドイツ系移民を父に持ちニューヨーク州で不動産デベロッパーのフレッド、スコットランドからアメリカに渡ったメアリー・アンの間に第四子として生まれる。フォーダム大学に2年通学した後、不動産の専門学科があるペンシルバニア大学を卒業(理学士)し、同大学のウォートンスクールでMBAを取得した。

1971年に父の経営する会社に入社。70年代からオフィスビルの開発、ホテルやカジノ経営を進め、80年代にはレーガン政権のレーガノミクスに乗って大成功し、不動産王と呼ばれるようになった。83年にトランプ・タワーがニューヨーク五番街に建てられた。タワーには現在に至るまで、ハリソン・フォードビヨンセなど多くの著名人が居住している。80年代後半に、イースタン航空のシャトル船を買収したが、ライバル会社との競争などの影響で巨額の負債を抱え、子会社のいくつかが経営破綻になった。91年に危機を切り抜けると、90年代後半からは好景気を背景に回復し、フォーブスのトップ400企業に返り咲いた。多くの高級アパートやホテル、カジノを建て不動産王に舞い戻った。07年のサブプライム問題の不況のあおりを受け、09年2月17日にトランプ・エンターテイメント・リゾーツ社が連邦倒産法第11章の適応を申請した。同社の取締役会で、全株を購入が拒絶されたため、取締役を辞職した。

 

 

 

テッド・クルーズ(1970年生まれ)

 

父、キューバ移民でキリスト教福音主義のラファエル・ビエンベニード・クルーズと母、デラウェア州出身のエレノア・エリザベス・ダラー・(ウィルソン)クルーズとの間に仕事の関係で移住していたカナダで生まれ、熱心なクリスチャンとして育った。1974年に父の転勤により、テキサスに移住した。1992年にプリンストン大学ウィルソンスクールを卒業。在学中はディベートで全米のチャンピオンになった。卒業後、ハーバード大学ロースクールに進学し、上位10パーセントで修了、ローレビューの編集者も務めた。卒業後は連邦控訴裁判所の調査官(ロークラーク)を経て、96年に連邦最高裁判所長官ウィリアム・レンキストの調査官となった。その後、ワシントンD.C.の法律事務所に勤務、ジョン・ベイナー下院議員の私的顧問を務めた[1]

99年から大統領を目指していたジョージ・W・ブッシュの政策アドバイザー、01年のブッシュ政権では司法省副次官に任命された。03年から08年はテキサス州の訴務長官を務め、多くの重要事件に当たった。退官後、再び法律事務所に勤務し、04年から09年にテキサス大学ロースクールで、連邦最高裁の訴訟について講義した。

12年にテキサス州から連邦上院議員選挙に出馬し、初当選。13年にはオバマケアへの反対から、予算成立を阻むため、21時間を超える演説を行い、議事の妨害をした。この演説は1900年以降で最も長い演説のひとつになっている。15年に大統領選挙への出馬を表明。主な支持母体はティーパーティー運動キリスト教福音派キリスト教右派

妻はゴールドマンサックスの投資マネージャーのハイディ・クルーズ。娘が二人いる。

 

 

 

マルコ・アントニオ・ルビオ(1971年生まれ)

 

父、マリオ・ルビオ・レイナとマリア・ルビオ(旧姓ガルシア)の三男として生まれる。両親はキューバ革命の前、1956年に貧困から抜け出すため、アメリカ領事館に駆け込み、経済移民として移住したキューバ人であった。両親は75年にアメリカ市民権を取得した。

当初は低所得層向けの公営団地で、夫婦ともに工場で働き、後にネバダ州ラスベガスに移る。ルビオ家はカトリック教だが、8歳のときにモルモン教の先例も受けたが、84年にふたたびカトリックに復帰した。フロリダに戻った後、1年間のフットボール奨学金を利用し、ターキオカレッジに通ったあと、フロリダ大学を卒業した。96年にはマイアミ大学で法務博士を取得した。ルビオはロースクール修了までに10万ドルの教育ローンを抱えており、12年に完済したという。

マイアミ大学在学中、イリアナ・ロス・レイティネ下院議員の実習生を務め、96年のアメリカ大統領選挙ではボブ・ドール上院議員の選挙スタッフを行った。98年にはウェストマイアミ市の執行委員長、99年にはフロリダ州下院選に立候補、共和党予備選では候補者に選出された。00年の本選挙は72%の得票を得て、民主党議員を破り当選。08年まで再選され、02年には院内総務に就任した。大物議員の引退後、フロリダ州の共和党議員の実力者となり、07年にはキューバ系アメリカ人として初の下院議長に就任し、08年まで務めた。09年に上院議員選挙に出馬。有力候補がいたため、泡沫候補と思われていたが当選した。この勝利により、ルビオは次期大統領候補として期待をされるようになった。

財政、社会政策に保守的なことから、ティーパーティー運動に支持されている。また今回の大統領選挙の候補者の中ではウォール街からの献金が最も多い。

98年に銀行員でマイアミ・ドルフィンズチアリーダーをしていたジャネット・ドゥスデベスと結婚。4人の子供がいる。

 

[1] 少し、アメリカの法曹まわりについて調べたことがあるのですが、この経歴はほとんどパーフェクトです。まず、ローレビューはロースクールの1年次の成績トップ層しかなれません(オバマ大統領や歴代の連邦最高裁判官などが務めました)。また、ロークラークになるのもロースクールでの成績が大きく影響し、最高裁判所のロークラークになるのは将来が約束されたようなものと考えてもいいのではないでしょうか(だからヒスパニック系で初なんだと思います)。一言でいうと、このおっちゃんすげぇです。